「なぜ?」という心を自然と開いてくれるイグ・ノーベル賞の魅力
2026年07月29日12時00分
ーー犬がトイレをするときは、北か南を向いている? わさびを使った緊急警報を発明?
思わず笑ってしまう研究や業績に贈られる「イグ・ノーベル賞」という賞があります。イグ・ノーベル賞とはどんなものか、その魅力とは何か、子どもの興味関心にはどう接続できるのか。立教大学理学部の特任准教授であり、サイエンスコミュニケーターとしても活躍する古澤輝由(ふるさわきよし)先生に聞きました。
思わず笑って、そのあと、つい考えてしまう
Q. イグ・ノーベル賞とは、どのような賞なのか教えてください。
古澤先生:
イグ・ノーベル賞は、1991年に始まった歴史ある賞です。誰もが知っている「ノーベル賞」をもじった名前がついていますが、単なるジョークの賞ではありません。その表彰は「人を思わず笑わせ、そして考えさせる研究や業績に与えられる」ということになっています。
ノーベル賞は人類に大きく貢献した研究に与えられる賞ですが、イグ・ノーベル賞は、ぱっと見では意外性やおかしさを持っていながら、その背景に深い意味や問いがあることに気づかせる。そんな特徴がある研究に贈られます。
また、ノーベル賞では表彰分野が定まっているのに対し、イグ・ノーベル賞はさまざまな幅広い分野の研究と出来事を対象としているため、「こんな研究があるんだ!」と感じさせてくれるところも大変ユニークです。
Q. 科学コミュニケーションという観点ではどんな点が魅力だとお考えですか?
古澤先生:
イグ・ノーベル賞の「受賞条件」がとても優れた発明だなと感心しています。世の中の賞の多くは「一番すぐれた もの」「役に立つもの」を表彰しますよね。でもイグ・ノーベル賞は、そうではなく、「人を笑わせるもの」で、しかも「考えさせるもの」を選ぶとしています。その評価軸の立て方が非常にうまいと思います。
決してふざけたものではなく、まじめに行われた科学研究が対象となる点も大切です。イグ・ノーベル賞は、その研究の「おもしろさ」をつかんで、誰もが楽しめる形で提示する機能を果たしています。実は、日本人は19年連続で受賞していて(2026.4時点)、日本が得意だという点も目を惹きますよね。だから、ふだんは科学が苦手だという人でも関心をもちやすいことが魅力ですね。
さまざまな受賞研究とその魅力

Q. 過去の受賞例としてわかりやすい事例を教えてください。
古澤先生:
イグ・ノーベル賞は、とても幅広い内容を扱っている点もユニークです。いくつかの事例を紹介しましょう。
社会課題に向きあう日本人の研究
「火災など緊急時に眠っている人を起こすのに適切な空気中のわさびの濃度発見と、これを利用したわさび警報装置の開発に対して」(2011年化学賞:今井真 他)
日本人の受賞研究です。最初は「なぜ、わさびを?」と驚きますが、実は背景にあるのは、警報音が伝わりにくい人に、どう危険を知らせるかという課題です。聴覚障害者などにとって、音以外の警報手段は切実な問題でした。わさびの刺激成分に着目し、どの濃度なら眠っている人でも起きるのかを調べ、警報装置の発明につなげた研究です。笑える意外さと、現実の防災課題に向き合うまじめさが重なった、イグ・ノーベル賞らしい事例です。
一見してばかばかしいが実用性のある発明
「一対のガスマスクに素早く変形させることのできるブラジャーを発明したことに対して」(2009年公衆衛生学賞:エレナ・N・ボドナー 他)
「緊急時にはガスマスクとしても使える女性用下着」という、冗談のような発明が受賞しました。実は、発明者はチェルノブイリ原発事故の際に子どもたちの治療に関わっており、「緊急時に使える防護具を、日常生活の中で備えられないか」と考えました。発明されたブラジャーは、2つの防護マスクに分割でき、自分だけでなく他者にも渡せるという思想も込められています。一見ふざけているように見えて、非常に真面目な危機対策なのです。
科学と社会への関与に目を向けさせる表彰
「新型コロナウイルス感染症の大流行を利用して、各国首脳らが科学者や医師よりも生死に即効性があることを世界に教えたことに対して。」(2020年医学教育賞:トランプ氏、プーチン氏を始めとした9カ国首脳)
これは強い風刺の意味を込めて、各国首脳を表彰した事例です。科学と政治の関係性を考えさせるものです。
身近な疑問から探究していった事例
「コーヒーカップを持ちながら後ろ向きに歩くと、コーヒーのこぼれは少ないという液体の揺れ動きに関する力学的研究に対して。」(2017年流体力学賞:ハン・ジウォン)
高校生による研究で、身近な現象を物理として分析したものです。
Q. おもしろい事例ばかりですね。ほかに先生ご自身が、特に好きな事例はありますか。
古澤先生:
個人的には、2008年に認知科学賞を受賞した、粘菌が迷路を解くという研究がとても印象的でした。最初は、正直に言って「粘菌に迷路だなんて、なんでそんなことを!?」と感じました。
しかし、よく考えると、脳も神経もないような単細胞生物が、迷路のなかの最短経路を見つけるわけです。人間の赤ちゃんにはできないことを粘菌ができる。「知性とは何だろう」と考えさせられました。
まず笑って、そのあとに深く考え込んでしまう。まさにイグ・ノーベル賞が表彰理由にかかげる体験を、自分自身が強く感じた事例でした。
しかも、この研究はその後、「鉄道網の最適経路決定に粘菌を応用する研究」に発展し、2010年には交通計画賞も受賞しています。独創的な問いだけで終わらず、さらに社会的な課題や応用へつながっていく。そこがとても魅力的ですし、日本人の研究であるという点も非常にうれしいですね。
「おもしろそう」が子どもたちの探究を育てる

Q. 教育という側面では、イグ・ノーベル賞の話題にはどんな価値があると思いますか。
古澤先生:
まずは「そんな研究をしている大人がいるんだ!」という事実との出会いが大きいのではないでしょうか。研究や発明というと、最初から立派なテーマを選ばないといけないと思い込みがちです。でも実際には、自分が知りたいと思ったこと、おもしろいと思ったこと、それをまじめに突き詰めていった先に研究が生まれます。イグ・ノーベル賞は、そのことを気づかせてくれます。
そして「なにそれ?」「おもしろそう!」という反応から、「なぜそんな研究をしたの?」「どうやって確かめたの?」と問いが自然に広がっていきます。子どもに科学へ興味を持ってほしい場合、イグ・ノーベル賞の話題ならば、「こんな研究があるんだって」と少し笑える話から始められます。入口はとても気軽なのに、内部には本物の研究がある。この2段構えが、イグ・ノーベル賞の大きな価値だと思います。
結局、私たちを探究に向かわせるのは「おもしろそう!」という気持ちなのではないでしょうか。
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古澤輝由(ふるさわ・きよし)
立教大学理学部共通教育推進室(SCOLA)特任准教授 / サイエンスコミュニケーター。インプロバブル・リサーチ / イグ・ノーベル賞日本担当ディレクター。通称「イグおじさん」として、イグ・ノーベル賞の魅力を伝えています。専門はサイエンス・コミュニケーション。『わらって、考える! イグ・ノーベル賞ずかん』(ほるぷ出版、2024年)『おかしいけど科学です 身の回りの楽しい物理』『おかしいけど科学です 身の回りの楽しい化学』を監修。
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イグ・ノーベル賞を楽しく学べる |『おかしいけど科学です』シリーズ

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