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【朝ドラで話題】小泉八雲の原点|ラフカディオ・ハーンの幼少期と孤独の青春をたどる

【朝ドラで話題】小泉八雲の原点|ラフカディオ・ハーンの幼少期と孤独の青春をたどる

2026年02月02日20時00分

2025年秋の連続テレビ小説のモデルとして注目される、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。
遠いギリシャの島で生まれ、アイルランド、そしてアメリカへ──彼の歩んだ道のりは、出会いと別れが重なる“漂泊”そのものでした。
本記事では、三部構成でお届けする八雲の生涯の第1回「少年・青年期編」として、
ラフカディオ・ハーンが日本を知る以前にどのような日々を生き、どのような感性を育てていったのかをたどります。

ラフカディオ・ハーンが小泉八雲になるまで

「小泉八雲」という名前は、いまでは『怪談』を書いた作家としてよく知られています。しかし、彼の生まれたときの名前はラフカディオ・ハーンといい、その生まれは、日本から約1万kmも離れたギリシャのレフカダ島でした。
では、なぜ異国に生まれたハーンが、「小泉八雲」という名前を背負うことになったのでしょうか?
その背景には、孤独な子ども時代、国から国へと渡り歩いた不安定な青春時代、そして後に彼の妻となるセツをはじめとした日本での大切な人との出会いがあります。彼の生涯はまさに「旅」そのものでした。
それでは実際に、小泉八雲が歩んだ漂泊の人生の旅を、のぞいてみることにしましょう。

ギリシャ・レフカダ島で誕生

ギリシャ レフカダ島

ギリシャ レフカダ島

1950年、アイルランド出身で陸軍軍医の父、チャールズとギリシャ人の母、ローザの間に生まれたハーン。ギリシャのレフカダ島に生まれたのでラフカディオ・ハーンと名付けられました。ハーンが2歳のころ、父チャールズの故郷アイルランドへ移り住みます。しかし、ギリシャで育った母、ローザにはアイルランドの寒くてよそよそしい環境が合わず、心細い日々が続きました。ハーンが4歳のとき、ローザはギリシャに戻るのですが、このときチャールズはローザに突然の離婚をつきつけました。そして、別の女性と結婚し、ハーンは大叔母の家へと引き取られることになります。その後、ローザはアイルランドに戻ることはなく、ハーンと再会することもありませんでした。こうして幼いハーンは両親と引き離され、ひとり残されることになってしまいました。

孤独な幼少期時代

母ローザと離れ離れになったあとも、ほとんど覚えていない母を追い求めるような思いは残り続け、反対に父に対しては「母と自分を捨てた」ことへの恨みの思いを強く抱くことになります。
その後、育ての親となった父の親戚にあたる大叔母、サラ・ブレナンはとても厳しい性格で、ハーンはさみしさを抱えながら成長します。孤独な幼少期の中で、彼を少しだけなぐさめてくれたのは、乳母から語られる古いお話でした。アイルランドに伝わるケルトの妖精や神々の物語を聞くたびに、彼の心は想像の世界へと広がっていきました。
後に「怪談」を愛し、日本の神々の物語にも心をひらいたハーン。その多神教の世界を受け入れる感受性は、このときすでに育まれていたのでしょう。

のっぺらぼうのもとになった? 八雲が幼いころ経験した怖い話

ハーンは子どものころ、ふしぎで少し怖い体験をよくしたといわれています。
その中でも特に有名なのが「修道女ジェーン」のお話です。
ジェーンはとても信心深いキリスト教徒で、カトリック教徒だった大叔母の家にしばしば滞在することがありました。比較的年の近いお姉さんだったジェーンをハーン少年はしたっていましたが、ジェーンによるキリスト教の布教にはうんざりしていました。そしてふたりはあるとき、宗教上の考えの違いから大喧嘩をしてしまいます。
そんな事件があった後に、ジェーンの姿を再び見かけたハーン。呼びかけると、彼女はゆっくりと振り返りました。
しかし、そこにはあるはずのものがありませんでした。そう、振り返った彼女の顔にはなにもなかったのです。目も鼻も口もない、つるりとした真っ白な顔。ハーンは恐ろしくて立ちすくんだといいます。
この体験は、のちに小泉八雲が書いた怪談「むじな(のっぺらぼうのお話)」にうつしだされていると思われます。

幼少期の記憶がむじなに登場する顔なしお化け、「のっぺらぼう」としてこの怪談に生まれ変わったのかもしれません。

連続する不幸に打ちのめされた青年時代

大叔母のもとで育ったハーンは、衣食住に不自由しない生活を送ることができました。しかし、その安定した日々は長くは続きませんでした。
16歳のとき、友人と遊んでいたハーンは不運な事故にあい、左目を失明してしまいます。片目の視力をなくしたことは彼の心を大きく傷つけ、それからは内向的な性格へと変わっていったといわれています。
同じ年に、父チャールズがマラリアで亡くなります。ハーンは父に対して良い思い出を持っていなかったため、生前に父から届いた葉書にも一度も返事を書くことはなかったと伝えられています。
さらに追い打ちをかけたのは、支えとなっていたブレナン夫人の破産でした。経済的に追いつめられたたことで、ハーンは通っていた学校を退学しなければならなくなりました。

渡米とオープン・マインドへの目覚め

アメリカ ニューオリンズ

アメリカ ニューオリンズ

青年時代に多くの不幸を経験し、スラム街を歩き回っていたハーンは、やがて遠い親せきから旅費をもらい、アメリカへ渡ることになります。けれどもそこでも待っていたのはとても貧しい生活でした。食べるものにも困る毎日でしたが、やがて雑誌に記事を送ったことをきっかけに、新聞記者として働けるようになります。
このころ彼は、「クレオール」と呼ばれる黒人と白人の混血女性アリシアと結婚しました。夫婦生活は長く続きませんでしたが、ハーンはこの出会いを通してクレオール文化に強くひかれるようになります。クレオールとは、植民地で生まれた混血の人々、また、そうした異なる人種やさまざまな言語が混じり合って生まれた独自の文化などのことを指す言葉です。
特に、このころハーンが暮らしていたニューオリンズでは、原住民、白人、黒人の文化が入りまじり、音楽や言葉、料理などが豊かに広がっていました。後に作品にもあらわれる、異なる文化を受け入れ心をひらく「オープン・マインド」の姿勢を身につけたのは、この土地での体験が大きかったのです。

オープン・マインドとは?

「オープン・マインド」とは、日本語でいうと「開かれた心」のことです。自分とちがう文化や考え方に出会ったとき、それをすぐに否定したり差別したりせず、「まず受け入れてみよう」とする姿勢をさします。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、このオープン・マインドを強く持っていた人物でした。当時の西洋社会は、白人が一番えらいと考える「白人至上主義」が広がっていた時代です。しかしハーンは、黒人と白人の混血である女性と結婚したり、日本に渡ってセツと出会い、彼女と生涯をともにしたりしました。人種や国のちがいにこだわらず、同じ目線で人そのものを見つめたのです。
異なる文化をもつ人々が共に生きる21世紀の私たちにとって、この「オープン・マインド(=開かれた心)」の精神には大切な学びがたくさんあります。小泉八雲の生き様は、今の時代を生きる私たちへのヒントでもあるのです。

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まとめ:孤独と漂泊の中で芽ばえた“開かれた心”

ギリシャに生まれ、アイルランド、そしてアメリカへ──。
ラフカディオ・ハーンの少年・青年期は、家族との別れや貧しさなど、決して平穏とはいえない“漂泊の時間”でした。しかしその旅路で彼が手にしたのは、異なる文化を恐れずに受け入れる「開かれた心」と、多神教の世界観に共鳴する豊かな想像力でした。
のちに日本へ渡り、「小泉八雲」として生きる選択をする彼の感性は、この時代に静かに育まれていきます。孤独と変化の中で磨かれたまなざしは、日本の神話や伝承、そして妻セツとの出会いへと導く原点となりました。
次回は、ハーンが“日本”という遠い国に魅せられ、ついに来日を決意する「日本との出会い編」。
旅人が運命の地へ向かう、その第一歩をたどっていきます。